2008年12月22日

ギターとのかかわり11

我輩とギターとのかかわり、11回目である。

もう前置きは良いであろう、と前回書いた。
だが11回目である。10回を超えてしまったのだ。
当初3回くらいで終わらせようとしたことは、既に書いた。その時点で10回を大きく越えるであろう事は予測し、それらしい事も書いた。
だが、3回を超えた時点では10回くらいでは終わらそうと思っていたのである。ペースからすると、もっと長くなることは予想したが、なんとか上手にまとめてみようとその時点では思っていたのである。
だが11回である。まだ終わりそうにない。現在53才の我輩、まだ13才なのである。後40年もある。
ギターとのかかわりだけで、一つのブログになりそうな‥‥、いやそれは大袈裟であろうが‥、だがこのブログを始めたのは、この記事を書くためではない。過去の事ではなく、現在の我輩の心情を、現在の様々な出来事と共に書くつもりで始めたのだ。
じゃが、なかなかそれが出来そうにない。
‥ままよ!
今書いていることが、全く無駄になることもあるまい。
少なくとも我輩には、有益であるはずだ。
という事で、自己中ブログであるが、続けさせて頂く。

前回、中学2年のつづきである。


後の我輩にとって、何らかの影響があったのか否か判らないが、エピソードを一つ。
もちろんギターに関してである。

我輩のクラスにもう1人、ギターを弾いている者がいた。
男子である。
いや、もしかすると他にもいたのかも知れないが、それは判らない。
ピアノやバイオリンなら、家庭によっては子供のうちに習わせる家もあったようだが、ギターを子供に習わせようとする家は、ほとんど無かったであろうから、彼もまた我輩同様独学でギターを覚えたのであろう。

彼がギターを弾く事はクラスの多くの者が知っていた。
我輩がギターを弾くことは、我輩の親しい友人2,3名であったと思う。
だが程なくして、彼は我輩もギターを弾くことを知り、話しかけてきた。
彼が言うには、自分はギターが大好きでギターを弾くけど、そのギターを使って曲も作っている。テープレコーダーに録音したので、それを買ってくれないか。と言うのだ。

誰も聴いたことの無い、彼の作詞、作曲、弾き語りなのだ。
いや、彼の親しい友達は聴いた事があるのかも知れないが、さほど親しくも無い我輩は初耳である。彼の話しでは、興味を持っても誰もお金を出してまで買ってはくれない。同じギターを弾く我輩なら気持ちがわかるだろう。もっとも家にテープレコーダーが無ければ聴けないから仕方がないけど、もしあるのだったら代金は元のテープ代金と同じでいい、つまらなかったら上書き録音すればテープは使えるから、損は無いだろう。と言う。

我輩は興味があった。
家にテープレコーダーもあった。このテープレコーダーも実は兄のものだが、ほとんど姉が独占的に使っていた。カセットテープではない。オープンリールのテープレコーダーである。
ここで我輩の記憶に疑問が生じた。
オープンリールのテープレコーダーは一部の家庭で使われたが、カセットテープレコーダーが世に出て姿を消していく。
だが、前にも書いた音楽の歌の試験、あの時先生は確かにカセットテープレコーダーを使っていた。オープンリールテープレコーダーしか知らなかった我輩は、それが何であるかを知ったのは、少し後である。中学1年であったはずだ。
ところがこのクラスメートとのエピソード、中学2年である。渡されたテープは紛れも無くオープンリールテープである。
この辺りが、オープンリールテープレコーダーからカセットテープレコーダーへの過渡期であることは間違いなさそうであるが、我輩的にはどうも腑に落ちないのだ。

兎に角、我輩は彼の録音テープを購入した。
そして家でテープレコーダーにかけて聴いた。
彼の作った曲の曲名は「マイ・ギター」。
全部は覚えていないが、サビの部分は今でも覚えている。
「マイギーター、た〜った一つ〜の、マイギーター、ぼ〜くのたから。」
そして、我輩にあてたメッセージも録音されていた。内容は、‥これに懲りずに、また買ってくれよな‥、的なものだった。
一緒に聞いていた姉が、「何だか唱歌みたいな歌だねえ。‥なんだいお前はこのテープを買ったのかい。」と言った。
我輩は、「元のテープ代金と同じだから‥。」と言い訳めいて言ったが、失敗したとは思わなかった。同級生のレベルを知ることが出来たし、ギターの腕前は大した事が無くても、弾きながら普通に歌えるのは凄いかも知れないと思ったのである。幼稚でも、曲としてまとめ上げていることも、我輩と比べて優れていると思ったのだ。

我輩は、弾き語りが苦手である。
歌は好きだし、得意だと思っていたが、ギターを弾きながら歌うと、歌の音程が不安定になるのだ。プレイ中は自分ではそれをあまり感じないし、どちらかというと気持ちいい。だがそれを録音して聴くと、いや聴くに耐えないのである。
弾きながら歌うと、我輩は音痴になる。
その原因は後に解ってきて、多少改善されてきたかとも思うが‥。
‥ほい、脱線じゃ!

このことでもう一つ感じたこと。
やっぱり、自分のギターが欲しいということだ。
マイギーター、と歌うこの友達を、少なからず羨ましく思った。

そんなことが、我輩の態度にも出ていたのかも知れない。
ねだったつもりは無いのだが、
「このギターは兄貴のだから‥‥。」
と言った我輩の一言をきっかけに、その年、母が我輩にギターを買ってくれたのである。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 18:05| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

ギターとのかかわり10

我輩とギターとのかかわり、とうとう10回目となった。

もう前置きは良いであろう。
早速前回からのつづきを書くとしよう。


中学2年生になった。

邦訳カルカッシギター教則本により、あてずっぽうで何となく弾いていたギターから、楽譜を見てそれなりに弾く、演奏のようなものに脱皮しつつあったころであろう。

でも、カルカッシギター教則本をそのまま進めていったわけではない。
若人の歌・ギター125曲集の方が、我輩にはやっぱり良かった。
教則本で楽譜の見方やアルペジオの練習をしたお陰で、125曲集の中の曲も、弾ける曲の範囲がかなり広がった。
「禁じられた遊び」も間奏を除いてなら弾けるようになってきたし(セーハの音がちゃんと出ていたとは思えないが‥)、「二つのギター」や「エリーゼの為に」など、音符が多くて楽譜を見ただけで嫌になっていた曲にも、手が出るようになってきた。

我が家のテレビは二人の姉の影響で、音楽番組をかけることも多かったが、我輩も嫌いではなかった。まあ我輩はアニメが好きだったので、小学校のころはチャンネルの取り合いもあったし、夜は父親や店の若い衆たちと、野球やプロレス、西部劇などを見ていた。
‥おっと、脱線。

何が言いたいかと言うと、そのころから弦の音に敏感になった。
弦の音と言ってもバイオリンなどの擦弦楽器(さつげんがっき)の音ではなく、弦をはじいて音を出す撥弦楽器(はつげんがっき)の音である。要するにギターの音である。
テレビの中でギターが出たり、ギターのような音を聞くと、俄然関心がわくのである。

当時グループサウンズが全盛で、ザ・タイガースやザ・スパイダース、ブルー・コメッツなどが毎日テレビを賑わせていた。
が、我輩はエレキギターの音には、まあ嫌いというほどではなかったが、さほど惹かれなかった。
それよりも、古賀メロディーのギターの音や、東京ロマンチカの鶴岡雅義の弾くレキントギターの音に強く惹かれた。多分に歌謡曲好きの姉の影響もあったのであろうが、エレキギターの電子音よりも生音のほうがずっと気持ちが良かったのだ。
フォークギターの音も好きである。ブラザーズ・フォアやPPMの音楽は、良く解らなかったけど結構好きだった。この辺はポップス系の好きな下の姉の影響だろう。

このころ我輩は自分の小遣いで初めてレコード盤を買った。
森山良子のLPレコードである。「この広い野原いっぱい」たしか彼女の最初のLPレコードではなかったかと思う。
このレコード盤を買ったお店、今もあるが、当時とは店構えも扱う商品も随分と変った。現在は音楽教室が主でレコード盤はもちろんないが、CDも売っているようには見えない。楽器は扱っているようだが、教室の生徒さん向けが主なのであろうとおもう。入口も入り辛くなって、我輩はもう何年、いや何十年も入っていない。

この店、当時はやはりレコード盤販売が主で、通りからガラス張りで中が見え、入るとズラーとレコード盤が並んでいた。今のCDショップがCDを並べているのと同じである。
そして天井からギターがズラーと吊るされていた。
エレキギターがあったかどうかは覚えていない。フォークギターが少しあったかな。ほとんどがクラシックギター(ガットギター)だったと思う。
ガットギターと言ってもガット(羊腸)は既に使われていない。ナイロン弦のギターである。
いいなあ。欲しいなあ。‥とも思わなかったと言えば嘘になる。
兄のギターではなく、気兼ねなしで弾ける自分のギターはやっぱり欲しい。
でも当時の我輩には、LPレコード1枚でも勇気を出さねば買えない高価なものであった。ギターにはとても手が届かなかったのだ。

自分でレコードを買ってからは、よくレコードを聴くようになった。もちろん兄のステレオでである。
自分のレコード以外にも、そこにある姉や兄のレコードも勝手にかけて聴いた。
特によく聴いたのが、トリオ・ロス・パンチョス、そしてナルシソ・イエペスのLPレコードである。

イエペスのレコードには楽譜が付いていた。
「アルハンブラ宮殿の思い出」や「アラビア風奇想曲」「粉屋の踊り」こんなのが弾けたら凄いなあ。と思ったか思わなかったか定かではない。
弾いてみようとした。が、むろん手も足も出ない状態であった。
でも収穫はあった。
これらの曲が1本のギターによって奏でられたものとは、思っていなかったからである。
楽譜を見ながらレコードを聴くことで、それはあきらかになった。そして衝撃を覚えた。マンガでいえば、主人公の頭上で響く「ガーン!」ってやつである。
ギター1本で弾いているんだあ。‥凄い;。‥ギターってやつぁ‥!

我輩はこの時初めて、ギターの持つポテンシャルに感動し、そのギターを弾いている事を誇らしくさえ思ったのである。
‥‥ろくに弾けないくせに、である。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 23:56| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月19日

ギターとのかかわり9

我輩とギターとのかかわり、9回目。

当初は3回くらいで書くつもりだったのが9回目、まだまだ先は長い。
いかにしてギターの深みにはまったのかを書いているはずが、どうやらこれを書くことの深みにはまったようだ。

では前回の続きからである。
カルカッシギター教則本を読んでみることにした我輩、さあどうなっていくのであろうか。


中学2年になろうとするころである。成長期の少年は文字通り成長が早い。半年前は見ただけで読む気にもならなかった教則本であるが、完全ではないにしても、何とか読めたようなのである。
いや、ギターを弾くことにも慣れて、書かれている内容が飲み込み易くなっているせいでもあろう。中学生活も一年が経って、音楽の授業や合唱を通じて楽譜や音楽的知識も増えている。そのせいもあるであろう。

兎に角、想像力を働かせれば何とか読めて、内容もある程度は理解することが出来るようになっていたのだろうと思う。
でも今読み返してみると、中学2年生でこれが本当に読めたであろうかとも思うふしもある。

例えばこれを読むきっかけとなったギターの持ち方であるが、そのまま引用すると、

「ギターを適當に持つには、座るよりも稍高い椅子に掛けねばならぬ。左肢は椅子に相當した脚台の上に乗せ、右股は少し後ろへ引き加減に離す。左肢は自然のまゝの位置で宜い。楽器の胴の重みは大部分左の大腿上に置く。脚台のない場合は左肢を右肢に組み合せる方法もある。
 次いでギターを横にして左の大腿上に置く。この位置は他の何れよりも良いものである。何となれば楽器を三ヶ所で押へる事となるからである。そして手で押へなくとも平均がとれるのである。」
(ヲグラ楽譜出版部(昭和41年1月20日)発行、森山鎮雄邦訳、カルカッシ・ギター教則本より)

この文を読んで、本当に正しくギターを構えることが出来たのか、甚だ疑問である。
正しいギターの構え方を知っている現在の我輩が読めば、まあ言っていること、言いたいことも解るのであるが、ギターを持ったことの無い人に、この文を読ませてギターを持たせてみても、正しく構えることは不可能であろう。

この時、我輩は既にギターを弾いていたのであるから、想像力を働かせて、椅子に腰掛けたら脚台の上に左足を乗せ、その左足の腿の上にギターを乗せて構えるというところまで、もしかしたら解ったかも知れない。
だが我輩の記憶に、そのころ足台(脚台)を使ったという覚えがないのである。
見たことも無い脚台である、結局理解できなかったのではないかなと思う。

教則本は、「音楽の基本的原理」から始まり、「ギターの弾き方」へと入っていく。
ギターの持ち方及び手の位置、弦の押え方、調子の合わせ方。ここでは現代の書き方で書くが、本はみな昔の漢字と旧仮名づかいで書かれている。実に読みづらい。
恐らく少年の我輩は、きちんとは読んでいない。
楽譜だけ追いかけて、どうしても腑に落ちないところがあったときのみ、解説文を読んだの程度ではなかろうか。いや、普通の本でさえ読んでいなかった我輩である。それすらしていない可能性もある。
結局、ちゃんと読んだかどうかも覚えていないのだから、ちゃんと読んではいないのだろう。
読んだ気になっていただけである。

では何故読んだ気になっていたのか?
それはこの教則本を使って、自分で練習をしていた事は紛れも無く事実であるからだ。

例えば手の指の記号、
左手⇒0開放弦 1人差し指 2中指 3薬指 4小指
右手⇒・人差し指 ‥中指 …薬指 ×親指
前に書いた、音符に付けられたわけの解らぬ点や×の意味が解ったこと。
(現在の右手記号は、i人差し指 m中指 a薬指 p親指である)

開放弦による右手の練習
ローポジション(第一位置)による音階の練習
タイムの練習
などよく練習したこと。

(和絃)コードの奏法、については意味がよく解らなかったが、楽譜に書かれた音を弾くことは出来たこと。

バレーの奏法は、小バレーは何とか押さえて音が出せたが、大バレーは押さえきれず全部の音が出せなかったこと。
バレーというのは、セーハのことで左手人差し指で2本以上の弦を同時に押さえる方法である。我輩は言葉としてセーハよりバレーを先に覚えた。
大バレーの音がクリアに出なかったけれども、我輩はさほど気にしなかった。出来る範囲で楽しめればよいと思ったからである。

そしてアルペジオの奏法、書かれているいろんなパターンのアルペジオ、本当によく弾いていた。練習というよりも、沢山の音が折り重なって出てくる、それを自分が出しているという事が、もう楽しくて仕方がなかったのである。

やっぱり、ギターを弾けるようになるための練習というより、ギターを使っての音遊びという色合いの方が、強かったのである。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 23:55| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月18日

ギターとのかかわり8

我輩とギターとのかかわり、8回目である。

冬休みのお正月、
兄の前でギターを弾く機会がついに訪れた。
その結果は?


兄になんと言って、弾いたのかは覚えていない。
多分、兄がギターを弾き終えて脇に置いたとき、そのギターを我輩が取って弾き始めたものと‥‥、いやいや、その時兄が発したセリフはよく覚えている。そのセリフからするとその時兄がギターを弾いているのを我輩は見ていない。

とすると、あり得るシチュエーションはこうだ。
兄が弾いて居間に置きっぱなしになっていたギターを、兄の留守中に我輩が弾いていた。そこへ兄が帰ってきた。
ギターを弾いている我輩をチラッと見て、
「お前、ギターを乗せる足が反対だ。ギターは右足じゃなくて左足に乗せて弾くんだ。」
とだけ言って立ち去り、自分の部屋に入ってしまった。

うん! 多分こうだったと思う。
てっきり怒られるものと思ったのに、反対にアドバイスめいた言葉を残して立ち去った。
やった。これで公認だ。

だが同時に、兄に対し腹も立って来た。
「なんだよ。だったら少しくらい弾き方を教えてくれてもいいじゃないか。」
こう思うのには訳があった。
兄は、下の姉には結構ギターを教えていたのだ。大学へ上がる前、家に居たころの話ではあるが‥。その為、下の姉もギターを何曲か弾けるのである。

だが、我輩は兄にそれを頼むことはしなかった。

そもそも我輩は、人にものを教わるのが苦手のようである。
何かをしてもらっても、照れくさくてお礼が言えないのだ。
ありがとうの一言すらなかなか言えない。
いや、大人になってからは、一応の礼はつくせるようにはなったが、それでも未だにお世辞は言えない。社交辞令も言うのも聞くのもどうもダメだ。ここは何か言わなくちゃと、無理に言おうとすれば、変な言い方になり誤解されることもしばしばである。

いや我輩、自分で言うのもなんだが、ユーモアもあり結構面白い人間だと思うのだが、親しくなるまでは、なかなか思うようにものが言えず、とっつきにくい人と思われがちであるようだ。
まあ、あまり馴れ馴れしく寄って来られるのも、うっとうしいこともあるので、そう思われて良いこともあるのではあるが。

おっと例によって脱線気味だ。話しを戻しつつ‥。

ことに兄は上から見て話すので、まあ我輩は弟なので、上から見られるのは当たり前といえば、当然なのだが‥、我輩は嫌だったのだ。
父もその手の言い方をする。そして、実は我輩もどうもそうらしい。
血とは恐ろしいものだ。

もともと嫌だと思っていたのなら、「教えてくれても‥‥」と腹を立てるのは矛盾しているだろう。その通りである。だが、そこはやはり人間の複雑な思いがあるのじゃよ。(突然の長老ことばかね。)


冬休みも終わり、兄は下宿生活へと帰っていった。
ギターもそのままである(置いていった)。
良かった。ほっ。

だが兄の残した言葉が気になった。
ギターを左足に乗せろって? そんなことしたら実に構え辛いじゃないか。左の方へギターがおっぽり出ちゃった感じで、ネックが遠くなり左手がむちゃくちゃ押さえ辛い。テレビの歌手も椅子に腰掛けてギターを持つときは右足に乗せているじゃないか。
兄の言葉はどうにも腑に落ちなかった。

だが兄がそういったことで、いい加減な嘘をつくとは思えなかった。
(うん、兄を好きではなかったが、信用はしていたらしい。)

そこで思いついた。
そうだ、もう一冊の本、あの難しい字の教則本に、きっと載っているはずだ。
ヲグラ楽譜出版部発行、森山鎮雄邦訳、カルカッシギター教則本。

いよいよ深みにはまって行く我輩であった。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 21:00| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

ギターとのかかわり7

我輩とギターとのかかわり、7回目となった。

こんなに長くなるとは、思いもしなかった。
そろそろ切り上げたい気分にもなってきたが、ここまでこの調子で書いてきたので、ここでやめるのは惜しい気もする。
我輩がギターを弾くようになったきっかけ、ということにすれば、ここらで文をまとめて終わりにすることも出来るだろう。
一度連載を終了して、うん、第一部完了とかにして、しばらくした後、第二部スタートという手もある。
まあ何時でも切り上げることは出来そうだし、あまり悩むこともあるまい。
‥えっ? 読者のことも考えろって? 
‥て事は物好きな読者がいるってこったね。
いや、ありがとう。
では物好きな小数読者のために、続きを書くとするかな。


「若人の歌・ギター125曲集」は、我輩の友となった。
学校から帰ると、この本とギターが我輩の遊び相手である。
「黒い瞳の」の後は、「春の小川」「もずが枯木で」「ともしび」‥‥などなど、音符の少ない易しそうな楽譜の曲を選び、次々と弾くようになった。

もう練習するのが楽しくて仕方がない。
えっ? 練習じゃなくて遊びだろうって?

まあそうなんだが、本人は練習のつもりである。いや自己流であれ、弾ける様になるよう一所懸命努力しているわけだから、紛れもなく練習である。
でもそれが楽しくて仕方がない。
紙の上に書かれた音符が、自分の手によって実際に耳に聞こえる音に、音楽になるのである。そのための作業が練習なのだ。

我輩は小さなころから、物を作ることが好きであった。
物を作るというと大袈裟であるが、積み木やブロック遊び、図画工作、プラモデル、マンガまでストーリーをつけて描いたりした。
創作、創造、神の持つ特性は人間にも組み込まれている。人間の本性の一つであろう。
歌を歌ったり、楽器を演奏したりするのも同じである。
例え人まねであっても、その人の手によって作られたものは、その人が作ったものに間違いないのである。
そもそも、全くの人まね、いや人まねと言うとちょっと違うかもしれないので、言い方をかえるが、人間が全く自らの力のみで創造できるものなど一つも無い。すべては自然の中、この宇宙の中に既に存在しているものを発見し、あるいは組み合わせ、加工して出来たものである。その方法をあみ出したと言うかも知れない。だがその方法とて既に宇宙に存在していた。インスピレーション? 原因があり結果がある。因果律が宇宙の大原則であるならば、インスピレーションとてその基があるのである。本人がその基を知らない、気付かないだけのこと‥‥‥

あ〜いや、また脱線してしまった。
我輩、特定の宗教に加担しているわけではないが、もし妙に思われた方は、まあ好きにして頂きたい。

話を戻そう。

次第にギターを弾くことにも慣れてきて、自己流ではあるが、いろいろな曲を弾けるようになってきた。
難しいと投げ出した「禁じられた遊び」も手が付くようになった。
いつの間にか、兄のギターでこっそり遊んでいるという罪悪感もなくなり、家の中どこでもおおっぴらにギターを弾くようになった。
得意になって、姉よりも我輩の方が弾けるぞ、くらい思ったかも知れない。

我輩、普段は臆病で引っ込み思案だが、時として自信過剰に陥るようだ。今になっても時折、下の姉に「お前は自信過剰だからな、」と指摘される。いや現在の我輩は、気持ちをポジティブに保つ為にわざとその手の発言をするのだが、子供のころからその気(け)があるとすると、多分にお調子者なのかも知れない。

姉よりも、と言ったのは例のアゲハ蝶のギターを持っていた上の姉のことである。
この姉、ギターの腕前は大した事はないが、生田流、筝(こと)の名取りである。故あって師範の免状は無いが、話もあったほどであり、なかなかの腕前。嫁に行って後はあまり弾かなくなったようだが、家に居たころはよく弾いていた。姉が箏を弾き始めると、我輩はその前に座ってよく見ていたものだ。
我輩の知らない姉の子供のころ、ピアノを習いに行っていたらしい。だが家にピアノは無く、友達よりどんどん遅れてしまうのが、悔しかったらしい。後にピアノは買えないけれどギターならと思ったのかも知れない。

‥と、また脱線。

兎に角、我輩はギターが弾けるようになったのである。あくまでも自称だが‥。
兎に角、ギターを弾くことが楽しかった。


そして、冬休み。
また兄が帰ってきた。
今度もギターをもとの位置に置いたが、意識してそっと戻すということはなかった。
我輩もギターを弾くという事を、兄に知ってもらおう思ったのである。

魚屋は暮が一番忙しい。子供も手伝わねばならず、ギターに触ることもなかった。
年が明けてお正月。
その機会は来た。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 23:59| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

ギターとのかかわり6

我輩とギターとのかかわり、の6回目。

連載6回目となった。
毎回書いているこの前置きも、長くなる原因の一つであろう。
くだくだと書かず、早速前回の続きを書こう。


若人の歌・ギター125曲集の楽譜を見て、何とか楽譜通りに弾いてみようとするのであるが、なかなか弾けそうにない。
いや、弾けそうな曲が無いと言った方が良いだろう。
なぜなら、その時我輩は、その楽譜の通りに頑張って弾こうというより、自分にでも弾ける曲を探すことに重点を置いていたからである。

だが程なくしてそれは見つかった。
7曲目である。「ハバネラ」という曲。
(その時は作曲者など気にもしなかったが、今見るとA.Alba op.9と書いてある。)

音符の数が比較的少なく、五線からはみ出た音符も少ない。易しそうだが、知らない曲だ。
でもとりあえず、最初の部分の音を出してみる。

おやっ? なんだか聞き覚えがあるぞ。
そう、この曲は兄がよく弾いていた曲なのだ。
うん、この曲は知っている。

兄が弾いていた曲に出合って、なんだか嬉しくなった。
ハバネラのリズムとアウフタクト。今考えればそんなに易しい曲でもないのだが、聞き覚えた感覚が身体の中にあって、リズムは歌える。左手の押さえもさほど難しくない。
弾けそうだ。
よし!この曲、弾いてやる。

そして、この曲に取り組み1月ほどかけて、最後まで弾き覚えてしまったのである。
もちろん完全ではない。装飾音など省いたり適当に感覚で弾いたり、リズムもかなり怪しいところが随所にある。

でも本人はご機嫌である。
自分流の弾き方でもなんでも、単音メロディだけの弾き方とは違う。低音はもちろんのこと、ところどころに和音の伴奏まで入って、ギターの独奏曲なのである。
自身をつけた。
味をしめた。

しかし、ここまで来るのはやはり大変なことではあった。
楽譜を見ながら弾くなんてことは、出来るはずもなく、そこに書かれた音符の音は、いったいどこを押さえて弾けば出るのか、1音1音探りながら、探り当てたら今度はそこを押さえて弾く練習を何度も繰り返し、身体で覚えていくのである。
右手は、親指、人差し指、中指、薬指を使って弾弦し、左手は人差し指、中指、薬指の3本を駆使して弦を押さえなければならない。
そう、この曲では未だ左手小指は使えなかったのだ。
いや、今楽譜を見ると小指(4の指という)で押さえる指示もある。だが小指の自由がまだ利かないその時点では、使っていない。この曲は強いて左手小指を使わなくても弾けた曲であったのだ。いや、それだけいい加減な弾き方であったともいえる。

今ならこの曲、もちろん左手小指を使う。
だが、初めてこの曲を弾いた時は小指を使わなかった。
なぜそれを覚えていたかと言うと、我輩が初めて左手小指で弦を押さえた曲は、別の曲であることを鮮明に覚えているからである。
薬指を使うのにあれほど苦労した我輩が、小指を使うのに簡単に済むわけがないのである。

「ハバネラ」を弾くことが出来るようになって、自信はつけたが、あれだけの時間と労力をかけたことは、やはり辛かった。
そこで、次はさらに簡単に弾ける曲を探すことにした。
この曲集が難易度順に載っているのではないことに気付いたので、後ろまで見て行って、もっと音符の少ない易しい曲を探すことにしたのである。

曲集の後ろの方近くに、その手の曲を多く見つけた。
その中で最も易しそうに見えたのが、ロシア民謡の「黒い瞳の」である。
たった8小節で、メロディの他に低音が1小節に2つずつ入っている。伴奏となる和音は2箇所しかない。
よし、これだ。

ところが、易しいはずが、最初の1小節でつまづいてしまう。
低音とメロディ音が重なった音を弾いた後、次のメロディ音が上手につながらないのだ。そして、この先に弾く和音の音の一つを小指で押さえないと、次のメロディがつながらないことに気付いた。
こんな簡単そうな曲なのに、なんてこった! 我輩は思った。
が、この曲を何度も練習することによって、左手小指もどうにか使えるようになっていったのである。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 23:00| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月15日

ギターとのかかわり5

我輩とギターとのかかわり、の5回目である。

我輩は現在53才であるが、この記事の中では未だ12才である。
既に5回目になった連載記事であるが、年齢からすると現在に至るまでまだ4倍以上の年月がある。ペースを速めてもう少し簡潔に書こうと思うのだが、書いているとその頃のことが次々と思い出されるのである。
まあ自分の思い出の確認にもなるし、当時の自分の思いに触発されて、これからの我輩に新たな気力を呼び起こすかも知れない、な〜んてことも感ずるのである。
まあもうしばらくお付き合い願いたい。

では前回からの続きである。

兄の本箱で見つけた、2冊のギターの本。
現在もボロボロになりながら、我輩の手元にある。

1冊は、邦訳カルカッシギター教則本 森山鎮雄訳 ヲグラ楽譜出版部発行 A4版1pくらいの厚さの本であり、
もう1冊は、若人の歌 ギター125曲集 渇ケ楽春秋発行 A5版2pくらいの厚さの本である。

このカルカッシギター教則本、昭和41年印刷発行であるのに、古い漢字と仮名づかいで非常に読み辛い。
例えば、「絃上を擧げたり下げたり出来るやうに保たねばならぬ。」とか「押さへてゐる指を…」という具合である。
本の題名に付けられた邦訳も邦譯、しかも右から横書きで「譯邦」と書かれていて、中学1年生の我輩には、何のことやら???頭の周りにはてなマークいっぱいであった。

この教則本に書かれた楽譜もなにやら妙だ。音符に点が1つなら見たことがあるが(スタッカート記号と思った。)、2つや3つの点がついているものもあり、×印まで付いている音符もある。
どうやらギターの弾き方が書かれた本の様なのだが、こりゃダメじゃ。我輩の手には負えそうもない。

という事で、もう一冊の本を開いてみると、
こちらは、曲集である。
文字による解説はな〜んにもない。
音符だけがごちゃごちゃ〜と載っている。
でも曲名を見ると、中学生の我輩でも知っている曲が沢山載っている。
表紙をめくると、若人の歌、ギター125曲集という本の題名と、加山雄三がギターを構えたメチャクチャ若い大きな写真がある。

うん、この本はいい。
幸い楽譜は音楽の授業でならって、基本的なことは解る。
音符に妙な点や×印もない。
ところどころ音符に数字がついているが、まあ気になるものでもない。
(この数字、ギターを弾くとき左手の指を指定した数字なのだが、その時は知るよしもない。)

よし、この本の楽譜でギターを弾いてみよう。
ギターを構えた。
多分、始めの方に載っているのが易しく、ページが後ろに行くにしたがって難しくなるのだろうから、という判断の基に、最初の曲からとりかかった。

曲名は「ギターセレナーデ(海呼ぶギター)」?‥知らないな。
でも音符も少ないし、易しそうだ。
レ、ソ、シ、ミー、シ、レー、音を出してみた。
‥やっぱり知らない曲だ。
これやめよう。

次の曲は、え〜と「禁じられた遊び」。
おっ、これは知っている。
だけどこの音符なんだろう?ごちゃごちゃしてるな。
でも兎に角、弾いてみよう。
最初の音符は、‥黒い方が、えーと(五線からはみ出し、加線に書かれた音符を数えて)、シだな。えーと、押さえるところは‥(1弦上を探して)ミファソラシ、ここだ!

同じ位置に書かれたこの白い音符も、多分一緒に弾けばいいんだろうな。
うんそうだ、兄貴は右手親指だけでなく、いろんな指を使って、一度にいろんな音を出していた。あんな風にすればいいんだ。
それにしても、なんでこんなに音符がはみ出しているんだ。数えるのが面倒だな。
え〜と、ドシラソファミ、ミだ。ああなんだ。押さえずに一番上の弦(6弦なので一番下、低い弦なのだが、上のほうについているのでそう呼んでいた。)をそのまま弾けばいいんだ。

気の遠くなる作業である。
それでも、復活したギター遊びを我輩は楽しんでいた。
そして、棒が上を向いた四分音符がメロディで、その他は伴奏であること。
重なっている音符は、親指と他の指で挟むようにして同時に弾けばよいこと。
右手は、薬指、中指、人差し指の順に、1弦2弦3弦を繰り返して弾けば良さそうであること。までこぎつけた。
だが、左手同様右手もまた薬指が思うように動かないのである。

う〜んダメじゃ!
この曲は我輩には難しすぎる。

もっと易しいのは無いのか。

次の曲は‥「トロイメライ」‥、ダメじゃ音符が多すぎる。
次も次も、やっぱりどれも簡単には弾けないのか‥?。

またしても壁を見た我輩だが、次回、ついに光明を見るのである。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 23:00| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

ギターとのかかわり4

我輩とギターとのかかわり、の4回目となった。

自己紹介のつもりで書き出したものが、連載となってしまった。
でもここまで書いてしまったのだから、仕方がない。こうなったら覚悟を決めて書き進めるしかないであろう。
どうせ我輩の自由気ままなブログである。
未だ読者が着いているとも思えないし、もしお読みになっている物好きな読者がおりましたら、物好きついでにお付き合い願いたく思う。
まあ後々、ひょんなことで役に立つことがあるかも知れない。

では前回の続きである。


左手薬指で弦を押さえるのは、ちょっと苦しかったが、そこは若さであろう。程なくして押さえられるようになった。
しかし単に押さえるだけではない。そのメロディのリズムに合わせて的確に押さえたり離したりする必要がある。
殊に中指で押さえた弦を弾いた後、すぐに薬指で押さえて弾かねばならない時は(薬指を使うのはこの場合が一番多いのだが…)、手をよく広げ、殊に中指と薬指の間をよく広げなければならない。これが結構苦しいのだ。

しかしやっぱり若さであろう。何日か後には薬指を使うことが、さほど苦にもならなくなったのだ。

先ほどから若さだ若さだと言っているが、53才の今しみじみと思うのである。
その時の我輩は12才の少年である。吸収力も順応力も大人の比ではない。
実年になってからギターを始めた人が、自分の指がなかなか思うようにならず、苦労しているのをよく見かけるが、まあ当然であろう。
だが大人は、忍耐力において子供より遥かに上である。子供は集中力を持続することが困難で、すぐに飽きてしまうが、大人は意思の力で継続することができる。
だから大人になってからなかなか出来なかったとしても、あきらめずに時間をかけて継続して努力していくことで、解決できることも多いと我輩は信ずる。

おっとまた脱線した。
軌道を戻そう。

左手3本の指が使えるようになると、メロディを弾くだけなら大抵の曲は出来るようになった。
しかし、夏休みである。兄が帰ってくるのだ。
我輩は、ギターを誰も触らなかったかのように、そっと元の場所に戻した。

夏休みが終わる頃、我輩には楽しみと心配があった。
楽しみは、兄が居なくなってまたギターが弾けること。
心配は、兄がギターを下宿先に持って行ってしまうのではないかということ。

心配は無用だった。兄はまたもギターを置いていったのである。
兄が何故ギターを持っていかなかったのかは謎である。
大学でもお勉強の他に、オーケストラに所属したり、掛け持ちでテニス部にも所属していたようだから、ギターまで手が回らなかったのかも知れない。
また、下宿先で既にギターを持っていたふしもある。(後に我輩が行ったときには無かったが…)

兎に角、我輩はまたギターで遊べるようになった。

だが少しすると、単音でただメロディを弾いているだけではつまらなくなってきた。
そこで姉に(アゲハ蝶のギターを持っていた上の姉である。)、姉が弾いていたレパートリーの弾き方を教わることにした。
姉が弾いていたといっても、姉とてちゃんと習ったわけではなく、自己流で適当に弾いていたのであるが…。

姉の弾き方も、右手は親指1本である。
メロディを弾きながら、適当なところで、ボン、ボン、と低音の開放弦(どこも押さえていない弦のこと)を鳴らし、リズムをとる弾き方だ。
それでも、ただ単にメロディを弾くだけよりはずっと調子がよくなる。なんとなく聴ける演奏になるのだ。
「あざみの歌」の弾き方を教わった。

我輩はその方法で、いろんな曲を試してみた。
6弦もしくは5弦の開放弦を、ボン、ボン、と適当に入れるのだが、所詮ミとラしかないのである。短調の曲はそれなりになんとか出来たとしても、長調の曲はまるで格好がつかない。
ギター遊びもこんなもんで終わりかな、とちょっと淋しい気持ちになっていたある日、
ついに凄いものを見つけてしまった。

ギター遊びが進展しなくなってから、次の面白いものがないかなと、兄の部屋を探っていると(もう泥棒のようである。)、それは本箱の中にあった。
勉強嫌いのそのころの我輩は、字ばかりの本など全く読まないし興味もない、読む本といえばもっぱらマンガばかり、マンガは大好きであった。でも兄の本箱にはマンガは無かった。兄もマンガは好きだが、本箱には文学全集みたいなのもしか入れていないことを、我輩は知っていたので、兄の本箱を開けることはなかったのである。

退屈紛れに開けた本箱の下のほうに、ギターの本が2冊。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 20:39| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

ギターとのかかわり3

我輩とギターとのかかわり、の3回目である。

う〜ん、こんなに長くなるとは思わなかった。
かかわりの生い立ちから書き始めたのがいけなかったのか…、まるで自伝を書いているような気持ちになってきた。(100年早いといわれそうだ!…だが100年後はきっとこの世にいない。えっ?きっとじゃなくて絶対だって? まあ先のことはわからないので、きっととしておこう。不老長寿の妙薬が発明されないとも限らないのだから…、えっ?その方が不可能だって? いや可能性はゼロではあるまい。人間は実現可能な事のみ想像するという。潜水艦も飛行機も月に行く事だって実現したのだ。…

おっと、余計なことばかり書いてしまった。これも長くなる原因だな。
兎に角、自伝風でも何でも良しとしてくれ。
前回からの続きを書き始めよう。


さて、兄の部屋で兄のギターで遊び始めた我輩だが、最初の壁に突き当たった。
えっ? 単音で右手親指だけを使って、メロディ遊びをしているだけなのに、壁とは大袈裟だって?
確かにそうなのだが、当時の我輩にはそう感じたのである。

問題は左手である。弦を押さえるのに自由に使えるのは、人差し指と中指の二つのみ。小指はおろか薬指も使えないのである。
いや、我輩は親に感謝するべき五体満足者である。
だが手の指1本1本は、訓練を積まなければ自由に扱うことは出来ないようだ。いやいや身体の運動機能というのは、備わってはいても、自らの意思と訓練によってようやく使える様になるらしい。
大きな部分も小さな部分もである。

この訓練というヤツが、我輩は苦手であり大嫌いである。
学校の宿題などもまあ訓練の一種であると思うのだが、我輩は大嫌いだった。本当に辛かったし、やっていかないことも多かったくらいである。

身体を動かす訓練もイヤである。
体育の授業はそのものであるが、本当に本当に苦手であった。
小学校のころは、体育の授業も男の子女の子いっしょだったので、さほど目立たなかったが、中学になると別々である。かけっこはいつもビリ。しかも大差をつけられてである。
そして段々運動自体が嫌いになり、益々苦手になってしまった。

兎に角、身体に苦痛を与えることが嫌なのである。
(勉強は頭の苦痛で、頭も身体の重要な一部なので、ホント大嫌いじゃった…、なぜか年寄り風な言い回しになっておるな。)

おっとまた脱線しそうだ。軌道修正!
ということで、左手薬指が思うように使えないという壁に当たったのである。

メロディを単音で弾くだけだから、人差し指と中指だけでも結構いろいろ弾けたのだが(いや、弾けたとは言えない。遊べたと言うべきか。)、どうしてももう一本は指を使わないと、曲によってはリズムが崩れてしまうのだ。

リズムなどと偉そうにと思うかも知れないが、我輩、体育と違い、音楽は好きであった。
兄弟の影響かもしれないが、物心ついたころから、よく歌をうたった。今では全く記憶がないくらい小さなころから、(聞くところによると)よく人前で歌うのが好きだったようだ。
小学校の登下校、歌いながら歩いていたことも、しばしばである。
遠足のバスの中でもマイクを握りよく歌った。
カラオケなどない時代である。
自分でリズムをとりながら、アカペラで歌うのである。
そう、だから歩きながら歌うのは、リズムがとりやすく好きであった。
楽器も好きであった。
と言っても、魚屋風情の小倅がピアノやバイオリンなど習うはずもなく、もっぱら学校の音楽でつかう楽器である。
小学校低学年のころはハーモニカ、高学年になってリコーダー。
家の物干しでよく鳴らしていた。(近所迷惑だったかも知れない)

小学校の音楽の時間の歌のテスト、1人ずつ先生のピアノの伴奏で1回歌うのだが、我輩だけなぜか何回も歌わせられた。しかもピアノの伴奏をあれこれと変えて、やたらややこしく歌い辛い伴奏なのだ。この先生、いや〜な先生だったので、我輩は嫌がらせかいじめかと思ったのだが、終わった後、音楽部に来なさい。そして小声でコンクールもあるから、と言われた。
そういうことだったのかと我輩も気付いたが、音楽部は女の子ばかりだし、先生も苦手だったので、結局行かなかった。

中学の音楽の時間の歌のテスト、またしても1人ずつ先生のピアノの伴奏で歌うのだが、今度は他の生徒と同じく1回ですんだ。ただし全員の歌をカセットテープに録音し、後で吟味したようだ。
またしても合唱部に誘われた。合唱部は女の子ばかりで混声合唱ができないので、歌える男の子何人かに手伝ってもらおうということなのだ。
小学校の時とは違って、この音楽の先生は好きだったので、我輩は承諾した。合唱部に席は置かないものの、お陰で中学時代は合唱を勉強することができた。

えっ? 勉強は苦痛で嫌いじゃなかったのかって?
好きなものは、苦痛にはならんし、嫌いじゃないのだよ。

という事で、また脱線した。
左手の薬指である。

よって、薬指が上手に使えず思うようにメロディが流れないのは、どうにも嫌で、でも、このギターの音でこのメロディを何とかして鳴らしたくって、結局そちらの気持ちの方が勝ったのだな。
薬指が使えるよう、練習を始めたのである。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 13:01| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

ギターとのかかわり2

我輩とギターとのかかわり、前回からの続きである。


我輩が中学に上がると同時に、兄も大学に上がった。
兄は、行く大学が遠方の為、親元から離れて下宿生活をすることになった。
そして、なんとギターを実家に置いて行ったのである。

兄が居なくなって程なくして、両親は家を建て替えた。
それまでは、借家のボロ長屋に住んでいたのだが、
…なんと家族6人と店の若い衆数人、狭い家の中を改造に改造を加え、何とか棲んでいた。平屋だが、中二階風に作った寝台や、天窓、また天窓のところから屋根裏を伝って隣の部屋に行けたり(大人は無理だが我輩は子供なので通り抜けられた。)、まるで忍者屋敷のようで我輩は気に入っていた…
やはり手狭なのと、改造のたびに大家ともめたり(らしい)、また住み込みの若い衆も居なくなったので(皆通いになった)、借家を買い取って古い家を壊し、新しい家を建てることににしたのだ。
隣の家との2軒長屋だったので、どうなるんだろうと思ったが、隣との壁を残して上手く切れるもんだなあと思った。

おっと、ギターと関係ないことまで書き始めてしまったが、まあ新しい家が出来るまで、もう少し付き合ってもらおう。

ということで、新しい家が出来上がった。
二階家である。
1階は、8畳と6畳の座敷、台所とトイレ、風呂場である。
2階は、子供部屋で、上の姉の6畳(和室)、兄の6畳(洋間)、下の姉の4畳半(和室)、我輩の3畳(和室)である。
我輩は、3畳ながら初めて自分の部屋が持てて大喜びだった。
だが程なくして、居ない兄の部屋が6畳であるのはズルイと感じるようになった。
そして兄の部屋でも遊ぶようになったのである。

兄の部屋には、ベッドになるソファーとステレオがあった。
このステレオで兄はクラシックばかり聴いていたが、居なくなってからは二人の姉が主に使うようになった。
兄が居なくなってからは、クラシックはあまりかけなくなった。
上の姉は、前にも書いたが歌謡曲が多く、下の姉はポップス派である。それでも時折はクラシックも聴くことがあった。
上の姉が好きな新世界とカルメンは、耳にタコが出来そうなくらいよく聞いた。姉は朝からレコードをかけていたので、姉のかけるレコードの音でよく目を覚ましたものだ。
でも気持ち良かった。

我輩もそのころ初めてレコードを買うのであるが、それよりも兄のギターに手を伸ばす方が早かった。

兄の置いていったギターを構えてみたのである。
中学生にもなれば普通に構えられる。
悦に入って適当に押さえて音を出す。
〜〜いい音だ〜〜!!

ここで我輩自身にもよく分からないことがある。
5弦の3フレットがドであることを、知っていたのである。
恐らく姉か兄に過去に教わったのであろうが、全く覚えがない。

でも兎に角ドがわかった。
そこから音を探ってドレミファソラシドと弾いてみる。
そして知っているメロディを、音を探りながらあれこれと弾いてみる。
使える指は、右手は親指だけ、左手は人差し指と中指の2本のみである。兄がもっと色々な指を使って弾いていたのを見ていたが、他の指は自由がきかないのだ。

ギターを弾いているとは言えない、単なる音遊びである。
だがこの音遊び、我輩には楽しくてしょうがない。

そして深みにはまって行くのであった。

つづく
posted by 伊勢古十郎 at 21:01| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月10日

ギターとのかかわり

前回の自己紹介記事で、趣味のクラシックギター演奏については次回と書いた。
約束どおり、我輩とギターとのかかわりについて書いていこう。

書き出しは、前回と同じにする。

趣味は、
クラシックギター演奏。
既に趣味の域を抜け出てしまっているかも知れない。
12才の時より独学で始め、ず〜と独学で、というか適当に楽しみながらやってきたのだが、10数年前、我輩の住む街の我輩の散歩コースに、ギター教室がオープンしたことをきっかけに、深みにはまって行くのである。

物心ついた頃、既に家にはギターがあったような気がする。
形はクラシックギターだが、スチール弦がついていたと思う。たしか、ボディに黒いアゲハ蝶の模様がついていた。
家が魚屋だったことは前回述べたが、住み込みの若い衆(わかいし)が大勢いたので、このギターも若い衆の誰かのものだと思っていた。後になって分かったことだが実は姉のものだったらしい。
我輩は4人兄弟で、姉、兄、姉、我輩の順で、我輩は末っ子である。
一番上の姉は我輩より一回りも上で当時すでに高校生、我輩には立派な大人に見えていた。その姉のものだったようだ。
歌謡曲の好きな姉が、そういえば「あざみの歌」など弾いていたなあ。

我輩も、このギターに興味をもっていたらしい。
何度か弾いてみようと試みたが、結局、幼い我輩にはギターを構えることすら出来ず、表面板を上に向けてヒザの上に乗せ、ハワイアンのスチールギターを弾くような格好で、音を出して遊ぶのが関の山だったようだ。

我輩が小学校の高学年のころ、兄がクラシックギターを買ってきた。
全音楽器の9千円のギターである。もちろんナイロン弦であり、当時とすれば非常に高価な素晴らしいギターにみえた。
兄とは歳で7つ、学年で6つ離れている。(我輩は早生まれなのだ)
よって、我輩が小学校に上がる時兄は中学に上がったので、兄と一緒に学校へ通ったことはない。歳も離れているので一緒に遊ぶこともめったになかった。
兄は中学2年までは、いつも外で暗くなるまで遊んでいた。だが高校受験を目前にした中学3年、突如勉強を始め、高校に入学すると、また突如音楽に目覚めた様で、吹奏楽部に入りフルートを吹き始めた。
そしてまた突如、クラシックギターを買って来て弾き始めたのである。

日頃、兄の行動にほとんど関心のなかった我輩なので、すべて突如と感じたのかも知れない。
そういえば、兄の部屋ではいつもクラシックのレコードが鳴っていた。もともと音楽は好きだったのかも知れない。
ナルシソ・イエペスの弾く「アルハンブラ宮殿の思い出」のLPレコードも、この頃初めて聴いたと記憶している。

何にしても、この兄のギターが、この後我輩と大きくかかわって来るのである。

う〜ん、やはり予想通り長くなってきた。
続きは次回としよう。


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posted by 伊勢古十郎 at 22:12| ギターとのかかわり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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